世界の自動車史に燦然と輝く初代ロードスター
Japan is No1。バブル景気に日本中がわき上がっていた80年代後半、日本車メーカーは世界のどんな自動車メーカーであってもまねのできないクルマを次々と生み出し続けていた。フェラーリをビビらせたジャパニーズスーパーカー、ホンダ NSX。その名前の復活がニュース番組にも取り上げられた日産 スカイラインGT-R(R32)。レクサスショックという言葉を生み出してしまったトヨタ セルシオ。そして、マツダからは3ローターエンジンを搭載したユーノス コスモが登場した。どのクルマも日本車メーカーでなければ作れなかった、どんなにお金をつぎ込んでもお金が余っているバブル景気でなければ生み出されなかったクルマである。
そんな時代に、1台だけ登場した普通の凄いクルマがあった。初お目見えはシカゴ・モーターショー。MAZDA MX-5 Miataというモデルネームが与えられたオープン2シータースポーツである。非常にコンパクトなFR2シーターオープン。別に新しくも何ともないパッケージング。どちらかというとイギリス車が得意だったジャンル。過去にはロータス エラン、MG-B、といった名車が生み出されたカテゴリー。しかし、それは昔のことであった。安全基準が厳しくなり、パワー競争が激しくなった80年代には、世界中の自動車メーカーからほとんど消え去ってしまった絶滅危惧ジャンルであった。
その世界に導入されたのがMAZDA MX-5 Miataであったのだ。
古典的なスポーツカーの文法にのっとり誕生したスポーツカー。格段速くもなければ、流行の4WDシステムも投入されていないスポーツカー。言ってしまえば普通すぎるクルマであった。
しかし、この1台が世界の自動車マーケットに与えたインパクトは大きすぎたのである。
マツダの販売チャンネルの1つであったユーノスから販売されることとなったロードスター。登場当初は完全なるモノグレードであったスポーツカー。ベーシックなロードスターにはほとんど何も付いていなかった。最初はパワーステアリングでさえオプションだったのである。
が、売れたのである。手頃なボディサイズに、手頃なパワー、そして何より170万円〜購入可能な手ごろな価格が決めてであった。リーズナブルで扱いやすいスポーツカーという設定が、グルッペBとインジェクションの発達によりモンスター化が進んでしまったスポーツカーをもてあましていた人々に受け入れられたのであろう。